インドネシア留学体験記④

8月29日に出国したため、今日でちょうどインドネシアでの生活が1ヶ月経過したことになる。あっという間に感じる。今のところ5月ごろに帰国予定なので、これがあと7回で帰国と思うと思っていたより時間がないかもしれない。来た当初は授業が少なすぎて暇だ暇だと思っていたが、そこまで退屈していないのも妙だ。そこで今日はここ1ヶ月の振り返りのために印象に残ったことを述べ、今後の予定を記そうと思う。

 

①オリエンテーション

 ダルマシスワのオリエンテーションはインドネシアの首都ジャカルタのKartika Candraというホテルで行われた。東京のインドネシア大使館ではGrand Sahidというホテルで行われる予定(変更の可能性あり)と聞いていた。ちなみに変更のお知らせは全体に連絡せず、個別で質問あった人に応答するというものだった。東京のインドネシア大使館で事前のオリエンテーションがあった際に参加者でlineグループを作成していたため、変更のお知らせをそのグループから知ることができた。参加者全員に一斉送信すれば、いちいち個別に対応する必要ないのにどうしてそうしないんだろう。謎だな。ジャカルタのスカルノ=ハッタ空港でダルマシスワからの出迎えがあり、参加者がある程度集まったところで、大型のバスに乗りホテルへ向かった。前回インドネシアに来た際はスカルノ=ハッタ空港は乗り換えにのみ使用しただけなので、はじめてのジャカルタだった。ジャカルタの町並みは一見して、思ったことは貧富の差が激しいなということだ。高層ビルの隣にスラム街とはいかないまでも都市カンポン(インドネシア語で田舎の意)が広がっていた。オリエンテーションは到着日の翌日に一日がかりで行われた。踊りや笹の葉で魚を作ったりするアクティビティの間に保険などの事務的な情報を伝えるという珍妙なものだった。正直、全日の飛行機の疲れも残っていたため事務的な内容だけで良いと思った。オリエンテーションへはインフォーマルでない格好もしくは各国の伝統的な衣装を着てくるようにと記載されていたため浴衣をきていった。すると、中米の人に羽生結弦と似ているから写真を撮らせて欲しいとなんとも嬉しいことを言われた。浴衣の色が青と白だからそう言われたのだと思う。

 

②コス(宿舎)探し

オリエンテーションの翌日、飛行機に乗りジョグジャカルタへ向かった。3日間は大学が用意したゲストハウスに泊まることができたので、コスを探す猶予期間は3日だった。到着の翌日から本格的にコス探しが始まった。大学からコーディネーターが何人か付いたが正直探し方は非効率だった。方法は簡単でただひたすら歩くのだ。歩いてコスを見つけたら部屋が空いているか否かを尋ねる。これの繰り返しだ。大抵、コスはどれも空き部屋はなくいっぱいになっている。理由はインドネシアの大学は大抵9月から始めるため、8月の段階で多くの新入生がkos獲得のために熾烈な争いを繰り広げていたからだ。そのおこぼれはなかなかない。僕は今年5月まで同じ大学に同じプログラムで留学されていた1こ上の学科の先輩からお薦めのkosを聞いていたため、そこに住むと決めていた。いざ、そのコスへ行ってみると予約している人が2人おり、もう部屋がないという。正直途方に暮れた。がっかりした気持ちでゲストハウスへ戻るとkosのおばちゃんから連絡があり、予約していたうちの1人が僕だという。僕の名前がちゃんと伝わっていなかったらしく、意思の疎通が上手くできていなかったようだ。ただ僕はkosを予約した記憶がない。訝しげに思っていると、なんでも先輩が気を利かせて部屋をとっておいてくださったそうだ。感謝の気持ちでいっぱいだ。

 

長くなったので続きは明日

では〜

②Yakuza

“Yakuza” adalah orang yang suka kekerasan, mendapat uang bagi kekerasan dan terdiri dari kelompok namanya “Boryokudan”. Ada hubungan seperti anak dan orang tua di dalam anggota.

“Yakuza” berarti 2

Yang pertama, orang yang tidak ada nilai.

Yang kedua orang melawan undang-undang.

 

Semua informasi dari Wikipedia oleh karena itu pasti ada salah. Sebenarnya saya masih kurang tahu tentang Yakuza. Besok buku tentang Yakuza datang dari Jepang, saat itu saya akan periksa pos ini.

Sampai jumpa

 

①Kaisar Jepang diganti walaupun beliau masih hidup

Kemarin saya berkata dari hari ini saya menulis tentang topik yang saya tidak bisa menjelaskan kepada teman orang Indonesia.

Yang pertama adalah tentang kaisar Jepang

Tahun depan tanggal 29 pada bulan April, kaisar Jepang sekarang akan berhenti perannya. Hal ini tidak biasa karena biasanya kaisar Jepang diganti sesudah beliau meninggal. Sejak 200 tahun yang dulu kebiasaan seperti itu. Tetapi tahun lalu video kaisar Jepang diumumkan oleh NHK(Kantor televisi Negeri Jepang). Isi videonya adalah berpikir gurakan resmi kaisar Jepang sesudah tua. Hal ini diterima oleh hampir semua pendudukan Jepang sebagai beliau mau berhenti peran. Tetapi pada saat itu tidak ada undang-undang tentang berhenti peran kaisar Jepang sebelum beliau meninggal. Oleh karena itu pemerintah Jepang membuat undang-undang baru. Video itulah menerbitkan hal itu luar biasa. Alasan yang kaisar Jepang mau berhenti perannya adalah umurnya sudah tua dan masalah sehat.

Di Jepang ada zaman kasuh Jepang. Zaman kasuh Jepang berhubungan dengan Kaisar Jepang karena gantian kaisar Jepang menyababkan ganti zaman juga. Oleh karena itu dari bulan May, nama zaman Jepang diganti juga.

 

Besok saya akan menjelaskan tentang“Yakuza”.

 

 

インドネシア留学 体験記③

PV100トッパ

書いていた当初は正直ほとんど誰も読まないだろうと思っていたが、本日なんと閲覧数が100を超えていました。読んでくださった皆さんありがとうございます。励みになります。なんとか毎日続けていけたらなと思いますが、勉強の都合上ブログの使用言語を日本語からインドネシア語に変更する可能性があります。その点はご理解のほど宜しくお願い致します。

さて、前回までで思っていたことを書いてスッキリしたので、今後はテーマを分けて今までの経験について書いていこうと思う。

 

1.友人

 今、こちらで1番仲良くしているのは留学先の大学と違う大学の学生でなおかつ住んでいる場所も違うインドネシア人だ。彼との出会いはkos(宿舎)の2階の外に面して置かれている椅子でだっだ。よくその椅子で彼を見かけたのだが、僕は人見知りなので話しかけずにいた。ある日向こうから話しかけてくれた。僕と同じkosに彼の友人がいるらしいのだが、なぜかあまり一緒におらずずっと椅子に座っていた。自分の住んでいる宿舎にはあまり帰りたくないらしくだいたい椅子に座っている。謎だなとは思ったが、話しかけてくれた日に夜遅くまで話しが盛り上がり、2人でずっと椅子でおしゃべりしていた。それ依頼、夕飯は彼と彼の友人達と食べている。いつもバイクの後ろに乗せてくれ色々な料理屋へ連れていってくれる。自分の足で行動できる範囲は限られているからこれには本当に助かっている。今日も彼らと夕飯へ向かう。

 

明日からは今まで友人と話していた内容でうまく言えなかったものを悔しかったのでインドネシア語でまとめていこうと思う。具体的には①生前退位②やくざ③電車のシステム④汚職についてだ。まったくまとまりのないブログになりつつあり、またどこへ向っていくかもわからないが、目的は自己満足なのであしからず。公開している理由は監視の目があると思わないとすぐさぼるからだ。インドネシアへ長期留学へ行きたいと思っている読者がいれば、ぜひとも上記テーマについてインドネシア語でまとめて準備の一助となれば幸いだ。

では〜

インドネシア留学 体験記②

これまでの反省

 

もうそろそろ1ヶ月が経過するわけだが、否応にも感じるのは短期留学と長期留学の差だ。僕はこれまでに3回の短期留学を経験しているが、そのどれとも今回の長期留学は異なるものだと思う。誤解を恐れずに言えば短期留学は遊びであり旅行の延長でしかないと思う。一方、長期留学は生活だ。短期留学のように動き回っていればすぐにバテてしまうだろう。

人それぞれだと思うが、最初の3週間はきつかった。理由は4つ 、言語の理解能力の圧倒的不足、莫大な自由な時間、勉強面の不安、そして健康状態だ。

1つ目について、長期留学の初期においてはヴィザなどの事務的な手続きが全て英語とインドネシア語で行われた。どちらも中途半端な僕はわかったようなわからないようなというより何がわからないかもわからないという情けない状態だった。

2つ目について、昨日の記事にも記したが僕のプログラムは週に3回、1コマずつしかないため自由な時間がたくさんある。僕は言われたことはそれなりにちゃんとやる人間だと思う。しかし、自由で何してもいいよと言われたときにやりたいことなんてなんもなかった。自分の中身が空っぽのような気がして悲しくなった。この大量にある時間をどのように消化しようかと不安でたまらなかったのだ。今、思えば勉強すればいいだけなのだが、当時の僕は精神的にかなり追い込まれていたのでそんな余裕はなかった。また、インドネシアーインドネシア辞書がアプリであるし、留学先の教科書がしっかりしているだろうという理由から日本で使っていた教科書、単語帳、インドネシアー日本語辞書を持参してきていなかった。これも到着してから物凄く後悔し、慌ててEMSで両親に送ってもらった。本当に感謝の念でいっぱいだ。

3つ目について、僕のプログラムでは2月の第2セメスターから好きな学部の授業を履修することができる。つまり、インドネシア語を学ぶのではなくインドネシア語で学ぶのだ。学部の授業には一度、短期留学の際に物見雄山で参加したが言っていることの1割もわからなかった。第1セメスターには週3しか授業がないのについていけるレベルになるのだろうか。これには本当に圧倒的な自習時間が必要だと思う。幸いにも2月までまだ4カ月強あるため、1日に8時間以上勉強すればなんとかなるかもしれない。短期留学のときには話しまくればできるようになると考えていたが、それは話せた気になっていただけだと今になって気づいた。インプットなしではアウトプットはできない。そんな単純なことに最近気がついた。

そして4つ目、これが一番辛かった。腹痛だ。僕は前回の短期留学の際に赤痢を患っていたため、それが完全にトラウマとなっていた。どこの料理屋でもここの料理は衛生面上大丈夫なのかとかなり疑心暗鬼になっていた。精神的に良くなかった。しまいには平熱にも関わらず不安感が膨張して病院にまで行った。幸いにも契約中の保険と提携している病院でありキャッシュレスができた。ただ、高熱だと思って行ったら、平熱だったときには情けなかった。すぐに帰るかもう少し精密な検査を受けるかと聞かれたので、すぐに帰ると答えた。

正直帰りたいと思った3週間であったが病院の薬でお腹が治ってからはネガティブな感情は消え失せた。やはり健康状態は大切だ。

 

留学へ行きたいと思った理由

 

中学のころから漠然と留学へは行きたいと思っていた。大学入学当初は台湾へ行きたいと思っていたが中国語学習の挫折と去年の夏にシンガポールからインドネシアに行った際に雰囲気が気に入ったため、決めた。留学形態は4年で卒業できる交換留学が良いと当初は思っていたが、交換だと帰国後が忙しくなるだろうということから国費留学へ決めた。正直言えば、何となく長期留学しときたいと思っていただけで、あんまりきちんとした理由はないと思う。

 

留学の目標

これもずっと考えているのだがしっくりくるものがない。一応暫定的に目標と思っているのは以下の2つだ。

1.自立(自律)すること

僕はずっと実家暮らしで両親に大切に育ててもらっていた。どうしてもこのまま社会に出たときに自立してやっていけるのかという漠然とした不安があったのだ。これを払拭したい。

2.卒論の草案作成

せっかくインドネシアにいるのだから現地でしかできない研究がしたい。留学に来てから関心を持ったことは下記の2つだ。

「ジョグジャカルタの仏教文化」

「ラッフルズの功績」

まだぼんやりとしているが2月までにきちんとしたテーマを決め、研究を開始したい。

また、就活の準備もしようとインドネシアの現地採用を斡旋する会社やこちらで旅行会社や日本食レストランを経営されてる方々などから話は聞いたのだが、どうもこちらで働こうという気は起きなかった。詳細は後日気が向けば記そうと思う。

今思うベストは無理をしない程度に余裕を持って行動することだ。志が低いと思われるかもしれないが、健康を崩せば本当に何もできないのだ。健康管理に留意しながらそこそこ学んで遊んでいい経験ができれば良いかなと切に思う。ただ具体性に欠けるので具体的なことは再考する。

では〜





 

 

 

インドネシア留学 体験記①

はじめに

 

8月29日に日本を出国したため、留学生活もそろそろ1ヶ月が経過しようとしている。

留学中にブログを書いたらどうだと同じ学科の友人にも言われていた。

生活にもそろそろ慣れてきてちょうどいい頃合いかと思うので始めることとする。

この1ヶ月、ビザの事務手続きやら腹痛やら部活参加やら現地採用の話を聞いたりやら仏教のお祈りに参加したりなど色々あったが詳細は気が向けば記そうと思う。

今、留学している大学はインドネシアのジョグジャカルタという地域にあるサナタダルマ大学というカトリック系の大学だ。

今年の2,3月にも大学の短期留学プログラムでお世話になった。

僕が利用している奨学金制度はダルマシスワというインドネシアの教育文化庁と外務省が協力して行っている奨学金制度だ。

学位取得を目的としていないため休学留学扱いとなる。

昨年まではサナタダルマ大学では週5回の授業があり、毎日2コマずづだったらしい。

今年は理由は不明だが政府からの授業料に対する奨学金が1人当たり300万ルピア(約3万円)減らされたらしく授業が週に3回しかなく、なおかつ1日に1コマしかない。

クラスは運良く1番上のクラスになったのだが、なんと教科書が短期留学のときのものと同じだった。

さらに上のクラスを作って頂くことは可能かと相談したが人数の関係上、クラスを増やすことができないという。今回の教科書で文法の復習だけをし、終了後に1つ上の教科書に移るということで折り合いがついた。

自由な時間がめっちゃある。

まあ、ブログを始めた1番の理由はこれかもしれない。

 

今日のできごと

 

本日は月曜日で授業がないが国際センターからダルマシスワ生用の保険のカードがやっと届いたから取りに来てと言われたため、受け取りに向かった。

また、9/13に両親に送ってもらったEMSが届いた。中にはインスタントのうどんと味噌汁が入っていた。両親に感謝だ。

 

自分の語学力

うすうす感じていたが自分のインドネシア語の語彙数がてんで足りない。不自由なく使いこなせるのは1,000語もないんじゃないかと思う。インドネシア語技能検定もまだD級だ。2年半も勉強しておいて情けない。

ついでにいうと英語もIELTS5.0程度だし、中国語もHSK4級程度だし、全部中級か初中級ぐらいだ。

やらなきゃいかんと心の中で思っていただけで、実行に移してなかったため、このていたらくである。今から本腰を入れてやろうと思う。まずはインドネシア語からだ。

 

長くなったので、今日はこの当たりで終わりにして、明日は留学1ヶ月間の反省と今後の目標等について記そうと思う。

では〜